“いい母親”になろうとする親と“あるがままのあなた”を愛する子供 -子育ての本質は自分自身と旦那との関係にある-


母親に『バカ』と言われるのは、世界中の人間に『バカ』と言われるのも同じこと。
小さい頃の母親の「嫌な子ね」の一言は、世界中の人の言葉。
だから、世界的に成功を収めても、自己の無価値感に苦しんでいる人間が大勢いる。
(加藤締三 著『愛される法則』より)

「いい子に育てたい」、「きちんと子供を育てなければ」
教育や育児に熱心な親によく出てくる言葉。

「うちの子は言葉を話すのがみんなより遅くて。」
「内気で他の子と遊ばないんです。どうすればいいんでしょうか。」
「学校の成績が悪くて、どうしたら頭の良い子になるのかしら。」

“とにかく勝ち組にしなければ”とか“親なんだからこうあるべきだ”って頑張りすぎてる気がする。
そもそも“良い子”って何だろう?“良い親”ってなんだろう?

【親のない子から生まれた子-良い子幻想-】
私の友人で、孤児院で育ったコロンビア人の女性がいる。
親も兄弟も家族もなかった彼女は、自分の子が生まれたとき泣く赤ちゃんを前に、途方にくれたように
「この赤ちゃんに私は何をすればいいの?」と病院に付き添った私に聞いた。
親に愛されたことのなかった彼女は、その赤ちゃんにどう接していいのか知らなかった。
やがて恐る恐る赤ちゃんを腕に抱いて、ほっぺにキスをしてつぶやいた。
「ゴリラみたいに真っ赤な顔してブサイクね。ギャーギャー泣いてうるさくて。でも、私はこの子がすごくかわいくて大好き。愛ってこういうものなのね。」
親の愛を知らない彼女は、自分なりの愛をその子に与えようとした。

物分りがよくて、学校の成績が良くて、行儀が良くて明るい子でなきゃ「ダメな子」なんだろうか?
「こういう子でなければならない」という決まりでもあるんだろうか?
顔がゴリラ(?)みたいでも、ちょっとくらい勉強が出来なくても、引っ込み思案でも、「それでも私はあなたが大好きよ」って思ってもらえる子は、それだけで幸せなんじゃないかなって思う。

「いい子に育てたい」というのは「いい子になれ(いい子でなければ愛さない)」という要求に他ならない気がする。

【子供の愛】
子供は親が思う以上に親を信じて愛してる。
だらしない親であっても、子供の面倒を全く見ない親であっても、怒ってばかりの親であっても、子供にとっては親というのは永遠にこの世でただ一人の“愛すべき親”。
たとえ親のいやな面を見て傷ついても、親に理不尽な要求をされても、親を信じているもの。

子供はけっして良い親を望んでいるわけではないと思う。

人間としての“あなた”と触れ合いたいし、つくろって無理して“良い親・完璧な人間”であろうとするよりも、時には怒って、時には泣いて、そして笑顔でいてくれる、あるがままの“あなた”自身が好きなんだと思う。
何か気に入らないことや出来ないことがあると、「自分の子はダメだ」と見切ってしまったり否定してしまう日本の親を見ていると、“あるがままの親”を愛している子供の愛に学ぶことは多いんじゃないかと思う。

【子供への最高の贈り物】
親子関係というのは、子供にとって最初のそして一番小さい人間関係の縮図。

子供が親から受け取る最高の贈り物は、親からの“肯定”。
“偉い人、すごい人に比べたら、私なんて全然ダメだけど”
“いやな所も悪いところもたくさんあるけれど”
「それでも生きてることが楽しい・こんな自分が好き」
と言える子供は、親からの最高の贈り物を受け取ったんだと思う。

和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる 
(ドロシー・ロー・ノルト著 『子どもが育つ魔法の言葉』 より)

子育てとは、あれこれと子供の世話を焼くことではなく、子供がこの世界は生きる価値がある、「生きていて楽しい」と思える世界を見せてあげること。

親がくだらない話で仲良く笑って寄り添ってる、それだけで子供は幸せや楽しみを感じ取る。
家というのは、家族にとっていい意味でも悪い意味でも“自分らしく”いられる場所。

子供は親が思うよりも、その心に育つ力を持っている。
それを信じて一人の人間として、一人の人としての子供に接してみたらどうかなと思う。

子育てに悩んでいるのなら、もう少し、親としての自分をそして女・男である自分を楽しんだらいいんじゃないかな。

子育ての本質は、一人の人間としての自分自身、そして夫婦の関係と向き合うこと、の中にある。

0コメント

  • 1000 / 1000